御祭神・ご神徳

伊弉諾大神 いざなぎのおおかみ
伊弉冉大神 いざなみのおおかみ
家津御子大神 けつみこのおおかみ
(素戔嗚尊) (すさのおのみこと)
御神徳は、国土の基礎を築いた大事業にあやかり、国家安泰、子孫繁栄、五穀豊穣、土木・建設関係、縁結び、商売繁盛、厄除、家内安全 など。
八咫烏

八咫烏は太陽の中にいるといわれ、三本の足が有り、それぞれ天・地・人を表していると伝えられています。神話においては、神武天皇の東征の途次、熊野から大和の平定を図る東征軍を先導したとされています。天とは神様のことで、地とは我々が暮らす大自然のことであり、わが国では神話の昔から神と自然とは祖先を同一にする信仰の骨格にもなっています。烏は夜明けを呼ぶ鳥、太陽を招く鳥といわれ人生の闇に逢い悩む人々を明るい希望の世界に導く神の使いの雷鳥として長く信仰されています。近年ではサッカー日本代表のシンボルにもなっています。
御由緒
当神社は和歌山熊野の大神を勧請鎮祭したもので、勧請起源ははっきりしないが、元弘・建武の頃(西暦1333) 、新田義貞鎌倉勢と戦の時、兵火に焼失したという。
| 和暦 | 西暦 | 出来事 |
|---|---|---|
| 応永年間 | 1406 | 社殿を再建する。 |
| 文明18 | 1486 | 5月、聖護院道興准后御東行の折、「朽ち果てぬ 名のみ残れる 恋ヶ窪 今はた訪ふも 知記りならずや」(廻国雑記)の御歌奉額あり。 |
| 天正18 | 1590 | 社殿・御奉額共に兵火に消失したという。 |
| 慶長2 | 1597 | 9月、社殿を再建し、再勧請する。 |
| 寛文10 | 1670 | 8月、社殿を改築する。 |
| 延宝六年戊午 | 1678 | 6月、代官野村彦太夫・中川八郎右衛門支配の時、社地1反3畝1歩(1290㎡)を給せられる。 |
| 宝暦13 | 1762 | 12月、本殿を造営する。 |
| 明治6 | 1873 | 村社に列せられる。 |
| 明治7 | 1874 | 道興准后の御歌の碑を一品有栖川宮幟仁親王の御真筆御印章を賜って建てた。 |
| 明治10 | 1877 | 10月、暴風のために社殿倒潰する。爾後復興に着手し、先ず本殿を建て、次に拝殿を築き、明治16年9月に竣工する。其の後忌垣を設け、鳥居を改築し、祭器庫を設け、参道に石を敷き、手水舎を建てた。 |
| 明治40 | 1907 | 5月、神饌幣帛料を供進すべき神社に指定される。 |
| 大正12 | 1923 | 9月1日、関東大震災の時、社殿は大破したばかりでなく腐朽の箇所が少なくないので昭和3年4月、大修理をなす。 |
| 昭和20 | 1945 | 4月4日、大東亜戦争による米国機の爆撃に遭い、社殿大破し、祭器庫、手水舎飛散し、立木多数被弾する。 |
| 昭和21 | 1946 | 宗教法人令に依る神社規則承認 |
| 昭和23 | 1948 | 2月、社殿復旧完成する。 |
| 昭和24 | 1949 | 1月25日、境内地無償譲与 318坪4合(1050㎡) |
| 昭和27 | 1952 | 8月20日、宗教法人法に依る神社規則承認 東規承第282号 |
| 昭和29 | 1954 | 3月13日、宗教法人法に依る神社規則認証第3074号 |
| 昭和29 | 1954 | 4月1日、宗教法人法に依る設立登記 |
| 昭和31 | 1956 | 社務所新築(昭和31年12月25日 庶収第2342号承認) |
| 昭和39 | 1964 | 社殿改築を決する。 |
| 昭和41 | 1966 | 2月15日、仮殿遷座祭を斎行する。 |
| 昭和41 | 1966 | 3月13日、地鎮祭を斎行する。 |
| 昭和41 | 1966 | 6月26日、上棟祭を斎行する。 |
| 昭和41 | 1966 | 11月23日、本殿遷座祭を斎行する。 |
| 昭和42 | 1967 | 9月9日、竣工奉祝大祭を斎行する(昭和41年6月15日庶収第967号承認) |
| 昭和48 | 1973 | 8月、手水舎を建設する(昭和48年1月22日庶第40号承認)。同じく神楽殿(社務所に併設)社号標を建設し、石鳥居を建てる(昭和48年7月11日庶第1070号承認)。 |
| 平成7 | 1995 | 社殿、社務所、神楽殿の改築を行う。 |
| 平成28 | 2016 | 本殿玉垣を改修し、平成29年1月29日、竣工奉祝祭を斎行する。 |
| 令和元 | 2019 | 拝殿・社務所の模様替えを行う。 |
| 令和3 | 2021 | 国分寺3・4・6号線(通称:熊野神社通り)計画変更に伴い、擁壁の建替、併せて神輿庫の耐震強化と倉庫の新築を行う。 |
氏子域
西恋ヶ窪・東恋ヶ窪・泉町の一部(旧恋ヶ窪村の域内)
境内末社
八雲神社 御祭神:須佐之男大神(すさのおのおおかみ)

八幡神社 御祭神:応神天皇(おうじんてんのう)・神功皇后(じんぐうこうごう)・比売大神(ひめのおおかみ)
当神社に残る「八幡神社遷座由来」によれば、
当社は元来、恋ヶ窪地内八幡窪(かつての東洋酸素東南側)に鎮座したものを度々の水害による荒廃甚だしきを以て、今を去る数百年前、尾崎氏の先祖が東恋ヶ窪3丁目19-1(通称サンヤ)の地に移したものである。然るに昭和49年8月25日の台風により社殿脇の老松が倒顚、社殿はこの下敷となり倒壊したため同年11月24日、地元有志の浄財を以て熊野神社の境内に遷座したものである。
因みに倒松の樹齢は約280年と推定され、更に倒壊した社殿の中よりその親松の巨株が発見されたが、この樹齢は約300年以上と推定された。即ち東恋ヶ窪3丁目の旧地に鎮座した当社の歴史を、この二代の老松の樹齢により推定するものである。

古峰神社 御祭神:日本武尊(やまとたけるのみこと)

聖護院道興准后の御歌の碑

「朽ち果てぬ 名のみ残れる 恋ヶ窪 今はた訪ふも 知記りならずや」(出典:廻国雑記)
文明18(1486)年5月、聖護院道興准后東行の際、この御歌を奉額されたといわれています。
牌に刻まれた文字は、明治7(1874)年に御歌の牌を建てる際、一品有栖川宮幟仁親王の御真筆御印章を賜りました。
芭蕉の句碑・可尊の句碑

【芭蕉の句碑】
この牌は、恋ヶ窪出身の俳人・宝雪庵可尊(坂本八郎右兵衛)が明治7年(1874)に建てたもので、字は可尊のもの。可尊と芭蕉は活躍した年代が異なるため直接の接点はないが、可尊が芭蕉を尊敬し師と仰いでいたといわれている。
「ひょろひょろと なほ露けしや をみなへし」(出典:更科紀行)

【可尊の句碑】
宝雪庵可尊は、明治19年(1886)に88歳で亡くなったが、その辞世の句を門人たちが明治30年(1897)に建てたもの。
「月花の 遊びにゆかむ いざさらば」
平和記念碑

社務所の北向いに平和記念碑があります。この碑は、大東亜戦争(太平洋戦争)当時、この恋ヶ窪の地より戦地へ出撃した方々の名を刻み、二度と戦争が起きぬよう後世に伝えると共に平和を願い、昭和39年(1964)に建てられました。
